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和太鼓ユニット「RAHULA」がつづる日々の日記
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16日、台風が来てる中、こまごま予定を変更しながら、7月26日に亡くなったじい様の納骨をしてきた。
ようやっと、ばあ様と一緒になったね。
そしてじい様の両親も一緒。
母は一人っ子なので、この墓に入る人はもういない。母は分骨してくれって言ってるけど。
残念ながら生きている間に写真でしか会えなかった息子も一緒にバイバイしてきた。

じい様の甥のおじさんが昔話をしてくれた。
北海道で生まれたじい様がどんないきさつで川崎に住むようになったのか、じい様が夏休みの自由研究をやってくれた話、戦争が終わって広島に着いたじい様が家族のもとへ帰ってきた時の話。

俺の知らないじい様がいた。

もちろん俺しか知らないじい様もいる。

戦争を乗り越えてきたじい様は孫にも話せないことたくさんあったと思う。
つらかっただろうね。
俺が戦争反対の立場なのはじい様の影響も強いかな。

これからは好きな油絵描いて、表装やって、無線であちこちと通信してのんびり家族と過ごして欲しいね。

そして息子の寝顔を見ながらさらにさらに世界が平和になることを願うのでした。



#和太鼓 #三線 #バンド #鼓巴流楽団 #RAHULA 
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息子のお宮参りへ行ってきました。
俺の実家の氏神の神社へ。
短い時間だったけど、なんか気分が変わったな。
なんだろ?うまく言えないけど。
もちろん良い方向にね。
佑佳の実家には2ヶ月間ホントにお世話になりました。感謝感謝です。

その後原田家で昼食。
原田の家族(父母、弟夫婦、妹)と田中のご両親と。あっ、あとネコのジジも。

さらにその後、スタジオへ写真撮りに。
息子の写真と家族三人の写真。
と、一番撮りたかった両方の父母と7人一緒の写真。
スタジオのカメラマンさんはすごいね。
一ヶ月の新生児の写真を撮るんだもんね。
なんか技をたくさん使ってすごい機敏な動き。スゴ技でした。
そんなスゴ技に惑わされるけとなく、眉間にシワを寄せマイペースな息子はあっぱれです(親バカ)
良いもの出来そうです。

今日から1週間、佑佳と航希と原田家生活。
のんびりしていただきたい。

#和太鼓 #三線 #バンド #鼓巴流楽団 #RAHULA 
藤沢で生活していた時に働いていた、ローソン藤沢二丁目店(閉店)で一緒に働いていた方が亡くなったと聞いてお通夜に参列してきました。
息子が産まれた時にも、お祝いを頂いたばかりで、ちゃんとお礼もしていないのに突然でした。
遺影にお礼なんて情けない。申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ご冥福をお祈りいたします。
#和太鼓 #三線 #バンド #鼓巴流楽団 #RAHULA 
7月14日に息子が産まれてから12日目。
7月26日に祖父が亡くなりました。98歳でした。
ひ孫を抱っこしてもらうことが叶わず、亡くなったことを聞いた時は悔し涙しか出ませんでした。
看護師さんにも「ひ孫が産まれたんだ」って話していたみたい。
会って欲しかったな。

葬儀まで何だか落ち着かない、なにか大事なことをやり残した気持ちでいっぱいだったけど、葬儀の時にお坊さんが話してくれた四苦八苦の話でなんかすっきりした。
苦しみ=思うようにならないことで
「根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、 根本的な四つの思うがままにならないことに 加え、愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と 別離すること 怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んで いる者に会うこと 求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得 られないこと 五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉 体と精神)が思うがままにならないこと の四つの苦(思うようにならないこと)を合 わせて八苦と呼ぶ。」byウィキ
ってのが四苦八苦なんだって。
産まれてすぐの息子も「生」という苦しみがあって、98年も生きて半分仏なんじゃないか?ってじい様にも「死」という苦しみがあった。
でもそれはどうしようもないことなんだね。
それよりも、ちゃんと息子の名前を伝えて「良い名前だ」と言ってくれたし、産まれてすぐにじい様に会いに行って、写真や動画を見てもらえて良かった、と思う気持ちが大事なんだね。
今度は俺の両親はおじいちゃんおばあちゃんになり、俺と佑佳は父と母になり、息子が成長していく。そんな命のバトンを大事にしなくては。
いつか俺らもおじいちゃんおばあちゃんになっていく時に、今回亡くなったじい様だけでなく、たくさんの先祖を大事にしていくことを息子に伝えていかなくちゃいけないんだと思いました。

今月は生と死をまざまざと見せつけられて、まだちょっと心の整理はついていないけど、ブログ書いて一区切り。
またゆっくりと歩き始めます。

#和太鼓 #三線 #バンド #鼓巴流楽団 #RAHULA 
「航希」とつけた名前。
もう半年くらい前にほぼ決まっていました。
産まれてすぐに佑佳から呼んでもらいたくてお腹の中にいる時はタロウだったけど。
二人の間やまわりにはなんだか海関することが多かったの。
海水浴とかすごい行った訳じゃないけど。
二人のデートは横浜か伊豆が多かった。横須賀もよく行ったね。
結婚式は思い出の場所横浜で挙げた。
RAHULA 結成のきっかけになった三味線ロックバンド ティダ。奄美から海を渡ってきた同じ年代の男逹。育った環境も好きな音楽も自らやってる音楽もぜんぜん違うのに、なんだか気があった。メンバー五人それぞれと。盟友なんて呼ばせてもらっているけど、彼らの存在は今の二人の音楽活動の原動力になっている。彼らは航海がコンセプトだったね。
高浪先生。二人の共通の師匠だけど、名字から勝手に海を連想した。無理矢理感がある?いやいたって真面目です。
たまにダチみたいに話しちゃう。いけないけど。でも二人の尊敬する人。その高浪先生の名前をつけた、TーWAVE混声合唱団。音楽の楽しさそのままに楽しい合唱団。
ゆかはゆずのこうちゃんが好きだ。
そんなこんなで海を連想する言葉で、こうちゃんって響きを考えたら「航」って漢字があった。
これだ!って思ったよ。
あとは俺の名前とか友人男性の名前の画数が二重丸だったからその本を信じて、原田で航がくると次は7画の漢字しか使えなくてね。一文字で「わたる」ってのも二重丸だったけどね。こうちゃんじゃなくなっちゃうからね。
7画の漢字から迷って迷って「希」という漢字にしました。
良い名前かどうかは人それぞれだろうけど、産まれて初めて佑佳が「航希」と呼んだ時に思いました。最高の名前だと。はい、初親バカです。
どんな男になるか分からないけど元気に笑っていてくれればOKです。
#和太鼓 #三線 #バンド #鼓巴流楽団 #RAHULA 
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プロフィール
HN:
RAHULA
性別:
非公開
自己紹介:
和太鼓ユニット「RAHULA」(ラーフラ)

ATSUSHIとYUKAの二人で2006年8月結成。
国立音楽大学「どじょっこ合唱団」で知り合い、
2003年に神奈川県藤沢の神童太鼓に入会。
2006年7月の舞演会を最後にに退会。
その後和太鼓ユニット「RAHULA」を結成。
8月愛光病院夏祭りにて初お披露目。
祭、イベントへの出演の他、バンドサポートなどにも
参加。
2007年12月、RAHULA主宰のもと「鼓巴流楽団」(こはるがくだん)を結成。
和太鼓での活動に加え、歌・ピアノ・三線の編成での演奏活動も初め活動の幅を広げている。

ATSUSHIついーと
YUKAついーと
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