和太鼓ユニット「RAHULA」がつづる日々の日記
7月14日22時30分
無事に産まれました。
男の子です。

立ち会いましたが、感想うまく書けないです。自分の想像のさらに上を行く感動と緊張と自分の無力さとごちゃごちゃな心境でした。
一応記録として、
13日22時頃、10分おきに痛みがくる。が、4回くらいでなくなる。
痛みはちょいちょいあるようだが不定期で前駆陣痛なのかな?って感じでした。
14日3時頃、起こされる。5分おきに痛みがくる。
病院に電話したところ、今すぐきてくれとのこと。
まあ前駆でもなんでもいいからとりあえず診てもらおうと。
診てもらったら子宮口が開き始めている。
10センチまで開いたら分娩室入りますと言われる。
でもなんだか不定期に痛みがくる。
その後4センチまでは開いたんだけど、昼過ぎには3センチに戻る。
疲労が溜まり佑佳も陣痛の間に少し休みを取る。
廊下を歩いたりもした。
16時に一旦俺は佑佳の実家へ。
その日の満潮時刻が20時40分くらいだったので、もう一度陣痛来るかな?と思った。
実家で食事を取らせてもらい30分ほど仮眠。
19時に産婦人科に行ったら陣痛が5分おきになり、子宮口も開き始めているとのこと。
うまくいけば日付が変わる頃か明け方かな?なんて言われてた。
20時回る頃には陣痛も強くなり、俺はただただオロオロ。
ティダが8周年記念ライブをしていたので、まりさんに電話して携帯からライブの音を聴かせてもらいました。
少しフライングでおめでとうしてくれたみたいだけど、佑佳に話したら泣いてた。俺も泣いたよ。嬉しかったね。
そこからまた陣痛が強くなってきたんだよね。
看護師さんに痛くなってきた時の少しでも楽になる方法を教わり、ただひたすらそれを繰り返してた。
22時前くらいに内診してもらったら子宮口は9センチにいくかいかないくらいと言われた。
その時にずっと聞こえていたお腹の中の心音が聞こえなくなったんだよね。
頭の中真っ白になった。
佑佳はまだ陣痛の痛みに苦しんでた。
先生呼ばれて俺は陣痛室から出されてぼーっとしてた。
そんな経ってないと思うけど先生が出てきて「今から早いですが分娩します」って言われた。
すぐに佑佳の両親へ電話(分娩室入るとき電話してって言われてた)
なに話したか覚えてない。心音が心音がって言ってたらしいよ。
分娩室も扉閉められちゃってどうしたらいいか分からなくなってたら、看護師さんに「準備して入って」と言われた。
ヒモもちゃんと結べてなかったと思うけど入ったら、心音は聞こえてた。
でももう分娩始まってた。
先生と看護師さんの会話はよくわからないけど、吸引出産ってことはわかった。
多分佑佳に声かけていたんだろうけど、何を話したか覚えてない。
佑佳も長いこと陣痛で苦しんでたから体力なかったんだろうね。踏ん張りきれずにいた。
こんなに苦しそうなのに何も出来ない自分がとても惨めだったのは覚えてる。
看護師さんが馬乗りになってお腹押して何とか出てきた。
すぐ赤ちゃん泣かなかったね。
二人の虚無感ははんぱなかったよ。
なんて声かけていいかわからなかった。
なんか背中の方で先生がなんかしてた。いろいろと。
佑佳を顔をさするしかしなかったと思う。
そしたら泣いたよ。赤ちゃん。
もうちょっと金切り声なイメージだったけど、少し低めだったね。
佑佳を抱きしめ泣きました。
初めて見た我が子はサルじゃなかったよ。天使でした。
佑佳は分娩後の処置が始まったけど、これはかわいそうだった。
すべてが終わった後、看護師さんが佑佳の横に赤ちゃんを置いてくれました。
佑佳に名前を呼んでもらいました「航希」と。
産婦人科から佑佳の実家へ帰るときは、ゆずのwonderful worldを大熱唱。あっ車の中ね。
実家着いたらお義父さん酔っ払ってた。
俺もたくさん飲んだ。お義父さんは2週間、俺は一ヶ月ほど禁酒頑張りました(笑)男って…。
佑佳のご両親と三人でたくさん笑いました。
赤ちゃんが笑顔を運んでくるってホントだね。
退院したら一ヶ月ほど実家で過ごすので、俺は週末にしか会えない。
寂しいですな。
いつか「くそおやじ」って言われるんだろうな。「くそがき」って言い返すけど。
「クソババア」と言ったら一発殴ろうと思っています。
これからたくさん心配させて迷惑かけて笑わせて、家族三人で生きたいと思います。
よろしくです!
#和太鼓 #三線 #バンド #鼓巴流楽団 #RAHULA
無事に産まれました。
男の子です。
立ち会いましたが、感想うまく書けないです。自分の想像のさらに上を行く感動と緊張と自分の無力さとごちゃごちゃな心境でした。
一応記録として、
13日22時頃、10分おきに痛みがくる。が、4回くらいでなくなる。
痛みはちょいちょいあるようだが不定期で前駆陣痛なのかな?って感じでした。
14日3時頃、起こされる。5分おきに痛みがくる。
病院に電話したところ、今すぐきてくれとのこと。
まあ前駆でもなんでもいいからとりあえず診てもらおうと。
診てもらったら子宮口が開き始めている。
10センチまで開いたら分娩室入りますと言われる。
でもなんだか不定期に痛みがくる。
その後4センチまでは開いたんだけど、昼過ぎには3センチに戻る。
疲労が溜まり佑佳も陣痛の間に少し休みを取る。
廊下を歩いたりもした。
16時に一旦俺は佑佳の実家へ。
その日の満潮時刻が20時40分くらいだったので、もう一度陣痛来るかな?と思った。
実家で食事を取らせてもらい30分ほど仮眠。
19時に産婦人科に行ったら陣痛が5分おきになり、子宮口も開き始めているとのこと。
うまくいけば日付が変わる頃か明け方かな?なんて言われてた。
20時回る頃には陣痛も強くなり、俺はただただオロオロ。
ティダが8周年記念ライブをしていたので、まりさんに電話して携帯からライブの音を聴かせてもらいました。
少しフライングでおめでとうしてくれたみたいだけど、佑佳に話したら泣いてた。俺も泣いたよ。嬉しかったね。
そこからまた陣痛が強くなってきたんだよね。
看護師さんに痛くなってきた時の少しでも楽になる方法を教わり、ただひたすらそれを繰り返してた。
22時前くらいに内診してもらったら子宮口は9センチにいくかいかないくらいと言われた。
その時にずっと聞こえていたお腹の中の心音が聞こえなくなったんだよね。
頭の中真っ白になった。
佑佳はまだ陣痛の痛みに苦しんでた。
先生呼ばれて俺は陣痛室から出されてぼーっとしてた。
そんな経ってないと思うけど先生が出てきて「今から早いですが分娩します」って言われた。
すぐに佑佳の両親へ電話(分娩室入るとき電話してって言われてた)
なに話したか覚えてない。心音が心音がって言ってたらしいよ。
分娩室も扉閉められちゃってどうしたらいいか分からなくなってたら、看護師さんに「準備して入って」と言われた。
ヒモもちゃんと結べてなかったと思うけど入ったら、心音は聞こえてた。
でももう分娩始まってた。
先生と看護師さんの会話はよくわからないけど、吸引出産ってことはわかった。
多分佑佳に声かけていたんだろうけど、何を話したか覚えてない。
佑佳も長いこと陣痛で苦しんでたから体力なかったんだろうね。踏ん張りきれずにいた。
こんなに苦しそうなのに何も出来ない自分がとても惨めだったのは覚えてる。
看護師さんが馬乗りになってお腹押して何とか出てきた。
すぐ赤ちゃん泣かなかったね。
二人の虚無感ははんぱなかったよ。
なんて声かけていいかわからなかった。
なんか背中の方で先生がなんかしてた。いろいろと。
佑佳を顔をさするしかしなかったと思う。
そしたら泣いたよ。赤ちゃん。
もうちょっと金切り声なイメージだったけど、少し低めだったね。
佑佳を抱きしめ泣きました。
初めて見た我が子はサルじゃなかったよ。天使でした。
佑佳は分娩後の処置が始まったけど、これはかわいそうだった。
すべてが終わった後、看護師さんが佑佳の横に赤ちゃんを置いてくれました。
佑佳に名前を呼んでもらいました「航希」と。
産婦人科から佑佳の実家へ帰るときは、ゆずのwonderful worldを大熱唱。あっ車の中ね。
実家着いたらお義父さん酔っ払ってた。
俺もたくさん飲んだ。お義父さんは2週間、俺は一ヶ月ほど禁酒頑張りました(笑)男って…。
佑佳のご両親と三人でたくさん笑いました。
赤ちゃんが笑顔を運んでくるってホントだね。
退院したら一ヶ月ほど実家で過ごすので、俺は週末にしか会えない。
寂しいですな。
いつか「くそおやじ」って言われるんだろうな。「くそがき」って言い返すけど。
「クソババア」と言ったら一発殴ろうと思っています。
これからたくさん心配させて迷惑かけて笑わせて、家族三人で生きたいと思います。
よろしくです!
#和太鼓 #三線 #バンド #鼓巴流楽団 #RAHULA
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プロフィール
HN:
RAHULA
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
和太鼓ユニット「RAHULA」(ラーフラ)
ATSUSHIとYUKAの二人で2006年8月結成。
国立音楽大学「どじょっこ合唱団」で知り合い、
2003年に神奈川県藤沢の神童太鼓に入会。
2006年7月の舞演会を最後にに退会。
その後和太鼓ユニット「RAHULA」を結成。
8月愛光病院夏祭りにて初お披露目。
祭、イベントへの出演の他、バンドサポートなどにも
参加。
2007年12月、RAHULA主宰のもと「鼓巴流楽団」(こはるがくだん)を結成。
和太鼓での活動に加え、歌・ピアノ・三線の編成での演奏活動も初め活動の幅を広げている。
ATSUSHIとYUKAの二人で2006年8月結成。
国立音楽大学「どじょっこ合唱団」で知り合い、
2003年に神奈川県藤沢の神童太鼓に入会。
2006年7月の舞演会を最後にに退会。
その後和太鼓ユニット「RAHULA」を結成。
8月愛光病院夏祭りにて初お披露目。
祭、イベントへの出演の他、バンドサポートなどにも
参加。
2007年12月、RAHULA主宰のもと「鼓巴流楽団」(こはるがくだん)を結成。
和太鼓での活動に加え、歌・ピアノ・三線の編成での演奏活動も初め活動の幅を広げている。
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