和太鼓ユニット「RAHULA」がつづる日々の日記
「こはるのちゃんこ」
第4話「旅祐」
この曲は1stアルバム(CDのみ)にも収録した曲です。
今回はピアノと歌のみでのアレンジにしてみました。
あっ、なんて読むのじゃ?という質問をたくさんいただきます。
「旅祐」は鼓巴流楽団の造語で「りょゆう」と読みます。
「祐」という漢字には天や神が人を助けるという意味があります。
旅(人生)の助けとなるものという意味で作りました。
人生とは?と考える時、人それぞれだと思いますが、
誰かの死を経験した時に考えると思います。
この歌詞は父の兄が亡くなった時に書きました。
僕から見て伯父になる人です。
「祐」の字は伯父の名前の一文字です。
叔父は、17歳の時に精神を病み入院しました。
僕が幼いころ、月に何回か祖父母が自宅に来てお昼食べた後
皆で車に乗り「どこか」へ到着。
子供たちは車で待ってなさいと言われ
大人たちは「どこか」へ行きました。
僕なんかはおばあちゃんがチョロQをくれるから
来てくれるの嬉しかったし、なんの疑問もありませんでしたが、
大人になり病院にずっと入院している
叔父がいることを知りました。
僕が直接会ったのは2回だけだと思います。
最初会った時、祖父にとても良く似ていた記憶があります。
会話は全くしていません。
2回目に会った時は亡くなって実家に帰って来た時でした。
もう2度と起きない伯父の枕もとで
50数年ぶりに実家に帰ってきたこと・・・
亡くならないと帰れなかったのかな・・・
今どんな気持ちなの・・・
伯父さんってどんな人なの・・・・
会おうと思えば会えたはずなのに・・・
色んなことを考えました。
そうしてしまった祖父母を責める気は全くありません。
戦後20年弱の日本で精神を患った人が温かく迎え入れられたことは
なかったでしょう。
一度家を出された伯父は家にあまり良い印象はなかったと聞いています。
唯一会えたのは祖母だけだったとも聞いています。
今僕はちょっとしたご縁の流れで知的障害者の支援に携わっています。
伯父の死を経験した時に、
僕は今いる数人の彼らの人生に深く携わっているんだと思いました。
彼らが僕と一緒に年老いどちらかが先に旅立つのか、
また、僕とは違う場所(施設)で旅立つのかは分かりませんが、
彼らがたくましく泣いて笑って良い人生を送れるよう、
少しでも力になれたらなと思ったのです。
まだ40歳そこそこでそんなに多くの死と向き合ったことはありませんが、
一人一人の死が僕に大きな宿題を残してくれている気がするのです。
そして、自分の死ということにも向き合い、
死とは生きること、のんびりか超ダッシュかは人それぞれですが、
死が迫った時に「良い人生だった」と思えるようにしたいものです。
伯父は今、青梅のお墓「憩」(祖母が~家墓を嫌い「憩」とだけ掘ってあります)にて
祖父母と長兄(伯父の兄)と4人で眠っています。
どんな話をしているんですかね?
「あつしはやっぱりダメだな」とか言ってるんですかね?
「憩」に入る時に一生懸命生きてきました!と
堂々と言えるようにしたいですね。
あなたにはもう聞こえない
大きな声で叫んでも
それでも僕には歌うことしか
出来ないから
いつか僕も立ち止まり
あなたと再び会えたら
その時は昔の話でもしましょう
~旅祐~より
#和太鼓 #三線 #バンド #鼓巴流楽団 #RAHULA
第4話「旅祐」
この曲は1stアルバム(CDのみ)にも収録した曲です。
今回はピアノと歌のみでのアレンジにしてみました。
あっ、なんて読むのじゃ?という質問をたくさんいただきます。
「旅祐」は鼓巴流楽団の造語で「りょゆう」と読みます。
「祐」という漢字には天や神が人を助けるという意味があります。
旅(人生)の助けとなるものという意味で作りました。
人生とは?と考える時、人それぞれだと思いますが、
誰かの死を経験した時に考えると思います。
この歌詞は父の兄が亡くなった時に書きました。
僕から見て伯父になる人です。
「祐」の字は伯父の名前の一文字です。
叔父は、17歳の時に精神を病み入院しました。
僕が幼いころ、月に何回か祖父母が自宅に来てお昼食べた後
皆で車に乗り「どこか」へ到着。
子供たちは車で待ってなさいと言われ
大人たちは「どこか」へ行きました。
僕なんかはおばあちゃんがチョロQをくれるから
来てくれるの嬉しかったし、なんの疑問もありませんでしたが、
大人になり病院にずっと入院している
叔父がいることを知りました。
僕が直接会ったのは2回だけだと思います。
最初会った時、祖父にとても良く似ていた記憶があります。
会話は全くしていません。
2回目に会った時は亡くなって実家に帰って来た時でした。
もう2度と起きない伯父の枕もとで
50数年ぶりに実家に帰ってきたこと・・・
亡くならないと帰れなかったのかな・・・
今どんな気持ちなの・・・
伯父さんってどんな人なの・・・・
会おうと思えば会えたはずなのに・・・
色んなことを考えました。
そうしてしまった祖父母を責める気は全くありません。
戦後20年弱の日本で精神を患った人が温かく迎え入れられたことは
なかったでしょう。
一度家を出された伯父は家にあまり良い印象はなかったと聞いています。
唯一会えたのは祖母だけだったとも聞いています。
今僕はちょっとしたご縁の流れで知的障害者の支援に携わっています。
伯父の死を経験した時に、
僕は今いる数人の彼らの人生に深く携わっているんだと思いました。
彼らが僕と一緒に年老いどちらかが先に旅立つのか、
また、僕とは違う場所(施設)で旅立つのかは分かりませんが、
彼らがたくましく泣いて笑って良い人生を送れるよう、
少しでも力になれたらなと思ったのです。
まだ40歳そこそこでそんなに多くの死と向き合ったことはありませんが、
一人一人の死が僕に大きな宿題を残してくれている気がするのです。
そして、自分の死ということにも向き合い、
死とは生きること、のんびりか超ダッシュかは人それぞれですが、
死が迫った時に「良い人生だった」と思えるようにしたいものです。
伯父は今、青梅のお墓「憩」(祖母が~家墓を嫌い「憩」とだけ掘ってあります)にて
祖父母と長兄(伯父の兄)と4人で眠っています。
どんな話をしているんですかね?
「あつしはやっぱりダメだな」とか言ってるんですかね?
「憩」に入る時に一生懸命生きてきました!と
堂々と言えるようにしたいですね。
あなたにはもう聞こえない
大きな声で叫んでも
それでも僕には歌うことしか
出来ないから
いつか僕も立ち止まり
あなたと再び会えたら
その時は昔の話でもしましょう
~旅祐~より
#和太鼓 #三線 #バンド #鼓巴流楽団 #RAHULA
PR
プロフィール
HN:
RAHULA
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
和太鼓ユニット「RAHULA」(ラーフラ)
ATSUSHIとYUKAの二人で2006年8月結成。
国立音楽大学「どじょっこ合唱団」で知り合い、
2003年に神奈川県藤沢の神童太鼓に入会。
2006年7月の舞演会を最後にに退会。
その後和太鼓ユニット「RAHULA」を結成。
8月愛光病院夏祭りにて初お披露目。
祭、イベントへの出演の他、バンドサポートなどにも
参加。
2007年12月、RAHULA主宰のもと「鼓巴流楽団」(こはるがくだん)を結成。
和太鼓での活動に加え、歌・ピアノ・三線の編成での演奏活動も初め活動の幅を広げている。
ATSUSHIとYUKAの二人で2006年8月結成。
国立音楽大学「どじょっこ合唱団」で知り合い、
2003年に神奈川県藤沢の神童太鼓に入会。
2006年7月の舞演会を最後にに退会。
その後和太鼓ユニット「RAHULA」を結成。
8月愛光病院夏祭りにて初お披露目。
祭、イベントへの出演の他、バンドサポートなどにも
参加。
2007年12月、RAHULA主宰のもと「鼓巴流楽団」(こはるがくだん)を結成。
和太鼓での活動に加え、歌・ピアノ・三線の編成での演奏活動も初め活動の幅を広げている。
カレンダー
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |
アクセス解析
カウンター